今年は、3年ぶりに夏合宿が実施されました。
4年生以外は初めての経験でしたが、とても充実した5日間を過ごすことができました。

その間、多くのOBOGの方々に応援に来ていただき、差し入れもいただきました。
また、OBOGの方々のお話を伺うと、いかに夏合宿が印象深く大切な合宿であったのかが分かりました。

そこで、過去に行われた夏合宿ではどんなことがあったのか、OBOGの皆様に協力の下、調査いたしました。あの辛くて楽しかった夏合宿が思い出していただければ幸いです。

Q,夏合宿はどこで行われましたか?(カッコ内は卒業年を示します)

  • 日光光徳小屋(昭和56年卒)
  • 野沢温泉(平成11年卒)
  • 3年時:修善寺 4年時:菅平高原(平成15年卒)
  • 菅平妙高妙高菅平(平成20年卒)
  • 1年:妙高 2-4年:菅平 (平成22年卒)
  • 菅平(平成30年卒)

※今年は菅平で行われました

Q. 1番大変だった(印象に残っている)練習メニューは何ですか?

20kmタイムレース
猛暑の中あまり給水もなく、倒れそうだった。
後半急激にきつくなった記憶があります。個別レースなので、年次の上下関係なく下剋上の中で、最後上級生のプライドで走っていた感じを何となく覚えています。
日光いろは坂タイムレース
毎年日光に行くのですが、いろは坂を通るたびに思い出します(笑)
中ペース走
前日までに膝を痛めてしまい止められたのを振り切って走ったが、痛すぎて声出しができなかった。隣の同期に2人分声出してくれと頼んで乗り切った。その時は声出ししていなくても罰符はでませんでした。
2年の時は完走することができず、悔しい思いをしたが、3年になりトレチとして、先頭で完走した時は達成感があり、自信にもなった。
2分ダッシュ・2分ジョグの繰り返し
何本やったか分からないくらい走った気がします。
中禅寺湖を一周するランニング行軍

練習ではないが、涸沢合宿の登山と下山がとても辛かった。

Q. 練習中は何を考えて(心掛けて)取り組まれていましたか?

  • 暑くて、きつくて、段々疲労も溜まって、、、そういう悪い状況だからこそやってやるって燃えていました。メンタル的なことで落ちる事だけはありえないと考えていた。

  • 下級生:とにかく先輩に負けないこと。目の前のメニューをこなすこと。
    上級生:下級生のことばかり。あまり自分のことは考えていなかった。

  • 個人競技でありチーム競技でもあるので、高め合う雰囲気を作り出すこと(主将、トレチとして)

  • 前年のタイムレース結果を上回る事だけを考えていました。

Q. 合宿での練習で楽しいと感じたことは何ですか?

  • 現役の時は、すべてがつらい思い出。卒業した後はすべてがいい思い出。なぜか楽しかったと記憶がすり替わっている。

  • 自分が下級生だった時は、落ちる先輩もいる中で全部やり切ってインターバル中にやり切った人だけでキラキラしている時間が楽しかったです。性格悪いですね(笑)
    自分が上級生になってからは、自分を超えようとしてくる後輩を落としていってやるのが楽しかったです。性格悪いですね(笑) でも中ペース走全部ついて来た後輩がゴール後感極まっていた光景なんかは自分にとっても良い時間でした。

  • 本気でインカレ目指している人間と、大学から運動始めたようなメンバーが、共に全力で汗を流して声かけあって、、、、男女、レベル関係なく一緒に本気の時間を過ごしたというのは、今思えば何よりも贅沢な時間だったと思います。

Q. 合宿中に最も印象に残っていることは何ですか?

  • 1年の20kmの時は、そんな距離をレースとして走ったことがなく、真ん中より下レベルだったが、我慢比べならチャンスはあるんじゃないかと内心燃えていました。先輩たちが誰も自分を相手として見ていないのも当然分かっていたので1発やってやろうと臨みました。結果タイムでは2位だったのですが、1番でゴールしてマネージャーさんが驚いた顔をしてタイムを叫んでいたことが印象に残っています。その後3位だった4年生の先輩がゴールしてすぐ自分の所に来て「お前すげーよ」と言って下さった経験は間違いなくスキー部というか人生そのものに大きな影響を与えたと思います。

  • リレーに出るための練習として音威子府に行った際、大東文化大学(おそらく当時1部校)と懇親する機会があり、彼らの夏の練習メニューを聞いたところ、1000レぺ×20本という名物メニューがあると教えてくれた。彼ら曰く、このメニューをこなしてきたという自信が自分たちを奮い立たせてくれる。逆に夏の練習量で勝たないと、1部校のなかでも強豪と言われる学校とに勝てるわけがないし、戦えないと言っていたのが、とても印象的であり、またカッコよくもあった。彼らのレベルでもそういった葛藤があるということが、目から鱗だったのと、当時自分たちもそれなりに高い強度の練習をしているという自負を持っていたが、井の中の蛙になっていたことを痛感させられた。

  • 涸沢合宿は、新宿駅から夜行で出発するのですが、OBが見送りと言って、一升瓶の酒やスイカを持ってきてくれます。一年生は、順番に一升瓶とスイカを持って涸沢小屋まで登りました。一升瓶の酒は合宿最終日の納会で飲み干しましたが、スイカは合宿中に食べる事は無く、再び一年生が持って下山させられました。

Q. 夏合宿が冬季スポーツであるスキーにどのように活かされたと思いますか?

  • 夏合宿含め、オフシーズンのトレーニングで筋力や持久力などをつけておかないと長いシーズンを乗り切れなかったと思う。フィジカル的な強化はさることながら、厳しい練習をこなしてきたという自信や達成感が前向きなマインドやモチベーションとなり、冬の成長へとつながると考えている。

  • 夏合宿で戦えない部員が冬にスキーで活躍できることは無いと基本的には考えています。冬が本番、っていう言葉を使って色んなこと説明しようとする人もいますが、冬の本番は長ければ1か月以上の合宿です。その前に1週間の夏合宿で毎日限界に近づいたり、時には超えるような経験をして、できればそれをやり切って自信にしておくことは完全に理に適っていると思います。それでも冬入る度に毎回「あぁ、もっとあれもこれもやっておけば、、、」と思っていましたが(笑)

  • 特にタイムレースでは、ノルディックのレースをイメージして、歩幅やピッチ走法などを試しながら走っていました。

Q. 合宿中のエピソードがあれば教えてください。

  • 光徳小屋は電気も通ってなく、自炊だったので、みんなで協力してお食事を3食作ったこと。
  • 前年やりきれなかったり、レースで負けて泣いていたりした部員がその経験をバネにして翌年パワーアップしてくるとチームとしての喜びを感じました。
  • タイムレース後にマネージャーを胴上げしたこと。
  • 合宿中に疲労骨折で脚にギプスをつけることになり、そのまま東京に帰って家族が驚いていた。
  • 合宿中になると、なぜか恋バナを隠してはいけない雰囲気になり、カミングアウトと噂が蔓延するところ。
  • 応援にきていただいたOBの方々に対して失礼があり、延々と罰符があったこと。終わらない手押し車が忘れられない。
  • 下級生のとき、食事の支度が遅かったという理由でフローリングで3時間くらい正座をさせられた。
  • 休養日に日光男体山に登ったが、降りるときに一年の女子が転んで大腿骨骨折してしまい、男子がかついで降りていたこと。
  • 自分たちの時代は、トレーニング中の声出しをミスったり笑ったりすると上級生から罰符が出る文化がありました。ある先輩が声出しで大喜利的なものを仕掛けてきて、笑ってはいけないルールがありながら、とはいえスルーすると後輩的には気まずいという、ぎりぎりのリアクションを迫られたという、どうでも良いプレッシャーゲームがありました。
  • 某同級生が菅平を脱出して東京に逃亡。その後退部。

  • 80年代の光徳小屋の合宿では、自炊は下級生の担当でした。合宿中盤で行う「いろは坂の料金所」から「光徳駐車場」までのタイムレースは、有料道路と公道を走る為に上級生が日光警察に許可を取りに行きます。練習後に警察の許可を取りに行った上級生が戻ってきた時には、既に夕食は終わり、私たちは食器の片づけをしていました。すっかり上級生の事を忘れていた私たち(1年生)は、残飯から食材を集めて、フライパンに残っていた生姜焼きのタレで肉を温めてテーブルに並べました。「今日の焼き肉はうまいなぁ」と言ってくれた先輩に、私たちは明るく「ありがとうございます」と答えたことを今でも覚えています。

Q. 夏合宿以外に印象に残っているイベントはありますか?

富士山登頂
周囲がゆっくり登山しているのに、声をかけながら走って登る集団は異様だったと思います。せっかく登頂したのに、辛すぎて頂上のことは一切覚えていません。
公式の飲み会
先輩との話かたやお酒の注ぎ方を体で教えていただきました。今の時代からすると時代錯誤かもしれませんが、相手との距離を測り相手の懐に入る、、というところは、めちゃくちゃ仕事に生きています。

5kmタイムレース、四大駅伝、夏季インカレ(駅伝)、冬季インカレ(2部昇格、2部残留)など、日々の練習が結果となって表れた場面は今でもよく覚えています。

雪煙記事に協力をいただいたOBOGの方々から現役へメッセージ


スキー部は練習も合宿も大変ですが、卒業してつらいことがあるときも、あの陸トレよりつらいことなんかないだろう!!と思い過ごしてきました(笑)

4年間続けることは大変ですが、続けられたからこそ、得られるものはかけがいのないものばかりです。頑張ってください。


夏合宿は分かりやすくチームで戦っている感覚を得られます。自分ひとりでは追い込めないレベルにもチームでやることで辿り着くこともできます。

重要なのは、チームに入ることで個人の責任が薄まるのではなく、チームのためにそれぞれがより大きな責任を果たすことです。責任を果たせる人間は信頼できます。その信頼関係が更にチームを高みに導くと思います。

そういう姿を見せてもらえるとOBは嬉しくてたまらないです。


この時代でもしっかりスキー部を継承してくれているのが素敵です。
是非、皆さんの時代らしい形での濃密で有意義な時間を過ごしてください。


現役の時、夏合宿は嫌でした。スキーをやるわけじゃないから、楽しくない。ハードなメニューをやるから、つらいだけ。なんでスキー部なのに、こんなに走るの?って。

でも、4年間やってきて、私たちはあの夏合宿を乗りきったんだ、それに比べたらたいしたことない。なんでもできるって。自信につながってました。

それもひとりじゃない。みんなでのりきったことで、本当のチームになれたんだと思います。

卒業して社会にでると、ひとりで出来ることは限られます。スキー部で体験したことがそのまま活かされます。

まずは目の前のことを乗り切る。余裕がでてきたら、仲間に目を向けて一緒に乗り切る。それは、そのまま人生です。

スキー部は、スキーだけじゃない、せっかくだから夏もやり切ってください。


“今”を大切に。その積み重ねが良い結果と今後の自信に繋がると思います。頑張れ!


部活を通して、何を達成したいかという目標を持ち、そのために何をすべきかを考え、練習に取り組むことで、自己成長へと繋げてください。


夏合宿は現役の時は本当に憂鬱で嫌いなものでした。でも、今となっては一番密度が濃く得られたものも大きな日々だったと確信できます。

つらい経験は必ず後の競技人生に生きてきます。少しでもポジティブな気持ちをもってつらいことにも臨んでみてください。


卒業して40年が経ちますが、4年間の部活動にはたくさんの思い出があります。「辛い」「苦しい」と思う事も沢山あると思いますが、今しかできない事です。

人の人生は期限が決まっています。残りの時間を毎日消費しているのですから、大切にしてください。素敵な思い出と納得した結果を残せるように期待しています。

おまけ(個沢合宿について)

足立さま(1985年卒一般班)からいただいた回答で、過酷な合宿が物語っていただいたので、おまけとして掲載させていただきます。


涸沢合宿を経験した人は皆、そうだと思いますが、とにかく1週間分の荷物と食料、スキ ー板・靴を背負って登山するのがまず大変でした。

さらに練習は、当然ながらリフトなど がなく、1本1本、足で上っては滑ることの繰り返しが辛かったと思います。

登ってしまえば、そこは山小屋ならではのワイルドな生活が待っていますが、休息時間に 近くにトレッキングに出かけたり、大自然の中でのお茶タイムなどは楽しい思い出です。

めったにお風呂に入れないので、黒いごみ袋に水を入れて屋根に乗せ、太陽の光で温まっ たぬるま湯で髪の毛を洗ったことが印象的です。

本当の登山客が宿泊すると、寝る場所が無くなり、寝返りも打てないほどの狭いスペース で寝たことが面白いエピソードかと思います。


現役へのメッセージ

今は、効率重視で快適な合宿が当たり前ですが、時々は不便さを感じるような合宿を経験するのも、人生においては貴重なことかもしれません。

アンケートにご協力いただいた皆様
本当にありがとうございました。

昭和56年卒 アルペン班 坂井久美子 様

昭和58年卒 ノルディック班 田久保耕一 様

昭和60年卒 一般班 足立みなみ(旧姓:大武) 様

平成11年卒 ノルディック班 大澤朋陸 様

平成15年卒 アルペン班 上野英之 様

平成20年卒 ノルディック班 遊佐健介 様

平成22年卒 一般・アルペン班 山本竜太 様

平成26年卒 ノルディック班 吉野智則 様

平成31年卒 一般・アルペン班/ノルディック班 望月史 様

他、匿名ご希望のOBOGの方々