ノルディック班3年 櫻井駿介
気付けば3ヶ月になっていた。
また冬がやってくる。
我々スキー部にとって、冬とはどんな季節なのだろうか。
今のスキー部は、自分が経験してきたものとは全く異なると感じている。いや、やっとスキー部の本当の姿になってきたのかもしれない。3年生にして初めての夏合宿も完遂することができた。学内での朝練も前期は不自由なく行えた。
今年は昨年以上に班別練習が増え、ノルディック班にとって前期からローラー練習を頻繁に行えたことは非常に良いことであった。今の自分には何が足りないのかを分析し何をするべきかを考え、部活の無い7月も日々自主練に取り組んできた。
今の自分に足りないもの、それは“ローラーの技術”これに尽きる。どんな動きが求められていて、体のどの部分を動かせばいいのかを理解することはできている。しかし、それをローラーの上で再現しようとすると話が変わってくる。思っていた通りに体をコントロールすることができないのである。周りの班員が日々成長していく姿を見て、自分はどうして成長できないのだろうと焦った時もあった。そんな自分から逃げたくなり、自分のローラーの動画を観ることが億劫になる時もあった。ローラーの練習がある度に気持ちが沈み、思うようにできない自分が悔しくてたまらなかった。焦ることが最大の敵だと分かっているからこそ余計に焦り、どんどん自分を追い込んでしまう。負の連鎖とはこのことなのだろうか。
後期が始まり、ローラー練習の頻度がさらに増えた。しかし、今は気持ちが沈むことがない。なぜなら、どんな動きが必要なのかを考え、夏の間にひたすら練習を重ねてきたからである。それが絶対に実ると信じて、毎回のローラー練習では目標を持って取り組むことにしている。ローラーの上で再現できなければ、再度基礎に戻る。この繰り返しを日々やることの大切さに気付いた。そのペースでは冬に間に合わないと急かす人もいるかもしれないが、急がば回れということわざがあるように、基礎をおろそかにしないからこそ上達できるものがあると確信している。
今年度のノルディック班トレーニングチーフである須藤は同期で、1年生の時からお互いに刺激し合いながらやってきた。昨シーズンからの須藤のスキーおよびローラーでの上達ぶりには驚くものがあった。お互いに高め合ってきた仲だからこそ嬉しかったが、それ以上に悔しさもあった。須藤の滑りには自分にはないものを持っている。須藤から学び、自分が吸収して成長していきたい。
これが目指すものである。
夏合宿を乗り越えた今、副将としての自分はどんな存在なのだろうか。陸上トレーニングでは自分の立場を全うすべく、ペーサーとして集団を引っ張っていっている。高校時代の陸上部では、1kmのペースを幾度となくその時に合わせて作ってきた。そのような経験を活かして、自分がどのようにスキー部に貢献すれば良いのかを考えて日々励んでいる。練習のメニューについてくることができない部員を鼓舞し、何が必要かをアドバイスし、そして自主練を共に行う。練習において、上下関係は気にするべきでないと思っている。言い換えれば、先輩が後輩の良いところを学び、後輩も先輩を引っ張っていくこともあるという様なスキー部の存在が大切であると思う。これこそがまとまりのあるスキー部であり、インカレに向けて一致団結できる大きな材料になると強く感じている。
副将とはどんな役職なのか。副将はスキー部において何をやるべき存在なのか。
幹部交代式で副将に任命された時にはそんな不安を抱えていたことを今でも覚えている。しかし、副将にはやらなければならないことはないことを前期を通して気付かされた。その意味とは、やらなければならないことがないということは、何をやっても良いということなのである。つまり、自分の手によって柔軟に変化させることができるものが副将である。自分にとっての副将とは、スキー部にとって足りていない部分を把握し、運営にもトレーニングにも意見を持ち込み、そして時には他の部員の意見を聴いて議論する、そんな存在であると捉えている。
この姿はどう部員の目に映っているのだろうか。恐縮なことであるが、一つ一つの練習に対する姿勢には人一倍こだわっていると自負している。特に、陸上トレーニングの集大成とも言えるタイムレースへの思いは誰にも負けないと思っている。前期の5kmタイムレースにしても夏合宿中の20kmタイムレースにしても同様である。5kmタイムレースに向けては1週間前から食生活を意識し、どのような練習メニューを何日前から行えば良いかということを計画立てている。このことは日々の部会で何度も部員には伝えており、良い結果を出す部員には共通して“自分なりのこだわり”を持っていると思うようになった。
あくまでも自分の考えではあるが、人は誰かに目指されることによって成長すると思っている。これはスポーツに限らず、勉強においても同じであろう。そして、目指される人はさらに上の人を目指して成長することができる。自分自身が完璧な人間であるとは思わないが、他の部員が目指したいと思う何かを自分は持っていると思う時がある。それが何であっても良いが、目指される存在になることは光栄なことであり、そうなれるように努力を続けていく必要があると強く思っている。
これが目指されるものである。